2013/03/01

8 親に殺される子のレクイエム (前篇)

親より先に子が逝くことは「親不孝」と言われます。では、親に殺される子は何と呼べばいいのでしょうか。ただし、この場合「虐待(DV)」によるものは除きます。

市民裁判員制度が始まった昨今、単なる傍観では済まされなくなる時が来るかもしれません。さて、あなたならどうお考えになりますか。

その新聞記事の見出しにはこう書いてありました。
『難病息子の命絶った妻 夫「気の毒で刺した」』(朝日新聞2009年10月20日)
「難病息子の命絶った妻に頼まれ殺害」(朝日新聞2010年3月6日)
事件のあらましを時間を追ってみてゆきましょう。

1)2004年8月、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の息子(当時40歳)の人工呼吸器の電源を切った母。いくら息子の頼みとはいえ「殺人」だ。横浜地裁は死を望む息子の懇願があったことを認め、嘱託殺人罪を認定した。懲役3年、執行猶予5年の判決である。

2)地裁公判での後追い自殺の可能性を問われた際に、母は「絶対に後追いはしません。あの子にこれ以上の悲しみを負わせたくありませんから。」と答えている。

3)が、現実は違った。家に戻った母は、息子の仏壇に泣きながら語りかける毎日であった。そして自殺願望も。約5年間、夫は支え、励まし続けるもいよいよ限界に達していた。
4)息子のもとへ夫婦で心中を決意するも果たせず、2009年10月12日未明、「もう限界。一両日中に絶対にやるからね。」と布団に包丁を持ち込んでいた。「お父さんに罪を着せられない。」と夫の前で自ら首を刺した。が、「できないよ。」死にきれずについに懇願する。「いいのか。」と問う夫に「お願いします。ここだよ、お父さん。」と首を指さした。

5)夫は包丁で妻の首を刺した。血が噴き出す音が聞こえたが、妻は悲鳴もあげなかった。妻は失血死した。「今まで長い間つらかったね。これで楽になったな。」と夫は声をかけた。

6)公判で夫は嘱託殺人罪と認定された。裁判長は「長年連れ添った妻を自らの手で死なせた苦悩、葛藤は想像の及ぶところではない。」「裁判所はあなたに深い同情を感じています。自身で命の大切さを確かめ、生き抜いてほしい。」と励ましている。懲役3年執行猶予5年が言い渡された。

7)被告人尋問では、夫は心境をこう語っている。「家内を殺したことに後悔はないです。しかし、どんな理由があろうと人を殺めるべきではなく、反省しています。」

8)「前回の事件と同じように、他人に頼らず自分たちで解決しようとしてしまったのか。」とALS患者の父を持ち、5年前の事件で公判を傍聴した日本ALS協会の理事は夫婦の心情をそう推し量る。

ALSの息子を殺した母から、その母を殺した夫に焦点が移って行ってしまった感がありますが、元に戻って考えてみましょう。死を望む息子がいたとして、その懇願に負けて人工呼吸器を外してしまった母の行為はどのように考えたらいいのでしょうか。

1970年5月に起きた母親による脳性マヒの子殺しとその後の顛末が考えるヒントの一つとなるかもしれません。この事件は、二人の重症の脳性マヒ児を抱えた母親が当時二歳となる下の子を絞殺したものでした。そしてこれが特に「問題」化されたのは、一人でさえ絶望的になりやすい脳性マヒ児を二人も抱えた母親のために「減刑嘆願運動」が起きたからでした。さらに、もっと大きく問題化した理由は、この減刑嘆願運動に対して殺された側にいる脳性マヒ者たち、特に「青い芝の会」を中心とする脳性マヒ者の側から、根本的疑問が提出されたからなのです。

本多勝一さんの論考を引用します。
脳性マヒに限らず、どんな身体障害にしろ、障害だけが理由で心の底から死にたい、自殺したいと考えることが、ありうるでしょうか。なるほど自殺した障害者は、死にたいから自殺したのでしょう。しかし、なぜ死にたいと考えるようになったかを検討すれば、おそらくほとんどは、障害自体によるのではなく、障害を原因とするさまざまな差別や貧困行政によって「自殺させられた」のであり、要するに殺されたに等しいことがよくわかります。みんな、生きたいのだ。どんなに不自由でも、健康な人が生きたいと考えるであろうと全く同様に、生きたい。いや、むしろ不自由だからこそ、そのことを積極的に意識しています。健康な人間は、重病にかかって初めて生きたいと思う例が多いようですが、身障者は生涯そんな心境で生きているのだとも言えましょう。
母親による身障児殺しにせよ心中にせよ、この点の理解に決定的問題がひそんでいます。母親の苦しみが想像を絶するほど大きいものであればあるほど、ジレンマが巨大であればあるほど生命の尊厳―結局は人間の尊厳とは何かを問いつめてゆきます。

横塚晃一さんによる「CPとして生きる」をやはり本多さんのところから引用します。横塚さんは「青い芝」の当事者です。
なぜ彼女(子殺しの母)が殺意を持ったのだろうか。この殺意こそがこの問題を論ずる場合の全ての起点とならなければならない。彼女も述べているとおり「この子はなおらない。こんな姿で生きているよりも死んだ方が幸せなのだ」と思ったという。なおるかなおらないか、働けるか否かによって決めようとする、この人間に対する価値観が問題なのである。この働かざるもの人に非ずという価値観によって、障害者は本来あってはならない存在とされ、日夜抑圧され続けている。
障害者の親兄弟は障害者と共にこの価値観を以って迫ってくる社会の圧力に立ち向かわなければならない。にもかかわらずこの母親は抑圧者に加担し、刃を幼い我が子に向けたのである。我々とこの問題を話し合った福祉関係者の中にも又新聞社に寄せられた投書にも「可哀そうなお母さんを罰するべきではない。君達のやっていることはお母さんを罪に突き落とすことだ。母親に同情しなくてもよいのか」等の意見があったが、これらは全くこの「殺意の起点」を忘れた感情論であり、我々障害者に対する偏見と差別意識の現れといわなければなるまい。これが差別意識だということはピンとこないかもしれないが、それはこの差別意識が現代社会において余りにも常識化しているからである。(後略)

「青い芝」の会がこの時に発した「母親の減刑嘆願運動」への批判を市野川容孝さんは次のように要約しています。
人びとは親に同情するけれども、私たち障害者はどうなっているのか。私たちは、親になら殺されても仕方のない存在なのか。そもそも社会は、私たち障害者に人間の尊厳と生きる権利を求めているのか。いや、それらが否定されているからこそ、このような減刑嘆願が肯定されるのではないか。
さらに市野川さんは「青い芝」の会の批判は世間に少なくとも二つのことを問うていると分析します。一つ目は、障害者の生きる権利そのものを最初から考えなおし、肯定し直されなければならないということです。二つ目は、その障害者の生きる権利を保障する上で、家族という「愛」の空間は必ずしも頼りにならず、むしろ危ういものであるということです。そして、1970年事件当時の「青い芝」の綱領の一部を引用します。「われらは愛と正義を否定する。われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それらを否定することによって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する」と。